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略歴

1919年高知県生まれ。東京高等工芸学校図案科卒業。高知新聞記者、三越宣伝部のグラフィックデザイナーなどを経て独立。漫画家として活動する。1973年最初の絵本『アンパンマン』(フレーベル館)を刊行。『アンパンマン』は人気が高まりアニメ化され現在も子ども達に大人気キャラクターとして広く知られている。また同時期に雑誌「詩とメルヘン」(サンリオ)を創刊し、30年間編集長を務めた。
主な作品に絵本『やさしいライオン』『チリンのすず』(フレーベル館)、作詞に『手のひらを太陽に』『それいけ!アンパンマン』など。90年、勲四等瑞宝章受賞。95年、日本漫画家協会文部大臣賞受賞。日本漫画家協会理事長。

やなせ たかし誕生

誕生

1919年2月6日、

東京府北豊島郡滝野川町字西ヶ原(現:東京都北区)生まれる。

父方の実家は高知県香美郡在所村(現:香美市にある)

”ただ一点、父と母に言われたことは「正直な人になりなさい」でした”

 

父(柳瀬 清)病死

父

やなせたかし5歳のとき、父が32歳で病死する

”私は父のDNAでやっと仕事ができている。
私は今でも父が大好きです。
だから父親の意思を自分が継がなくちゃいけない。”

 

戦争 体験

1941年(昭和16年)に野戦重砲兵として徴兵され、小倉駐屯地で教育後日中戦争に出征。

”行軍したり、泥だらけになってはい回ったりするのは、
一晩寝ればなんとかなる。ところが、飢えはどうしても我慢できない
食べられないというのは、ものすごくきついですよ。”

“正義の戦争に駆り出されて、どんな人をも狂気に巻き込む実相を見た。
そして、敗戦で一変した価値観。

「正義はある日、突然逆転するものだと骨身にしみて思い知らされた」

 

三越百貨店宣伝部に勤務

三越3

1947年、三越百貨店宣伝部にグラフィックデザイナーとして勤務。

“漫画家はね、みんな最初は食うや食わずなんです。

皆さんはどうか知らないけど、俺は貧乏とか、そういうのが嫌いなんだ。

だから、まずは食べられるようにって、試験を受けたら受かっちゃった。”

 

漫画家として活動をはじめる

1953年(34歳)漫画家としての収入が給料を上回ったことで三越を退社。専業漫画家となる。

漫画家として活躍するかたわら、テレビ出演や舞台演出、作詞など、幅広いジャンルで活動。

 

詩人としてデビュー

愛する歌2

1966年、詩集『愛する歌』で詩人としてデビュー。

 

手のひらを太陽に

手のひらを太陽に

四十二歳のそのときのその日も徹夜していた。退屈し、子どものころにやっていた遊びを思い出して懐中電灯を手のひらに当ててみた。
すると、これほど絶望しているのに、体には赤い血が脈々と流れているんだ。
心は元気がなくても、血は元気なんだなと、自分自身に励まされたように感じた

不意に「手のひらを太陽にすかしてみれば」というフレーズが浮かび、それが一つの歌詞にまとまった。
この歌は、自分を励ます気持ちから生まれたのだ。

 

「千夜一夜物語」

千夜一夜

手塚治虫とアニメの「千夜一夜物語」(1969年公開)を制作。キャラクターデザインを担当し魅力を知る。

「ぼくが学んだのは、手塚治虫の人生に対する誠実さである。

才能はいくら努力しても、とてもかなわないが、誠実であることはいくらかその気になれば可能である。

手塚治虫氏はその意味でぼくの人生の師匠である。」

 

「詩とメルヘン」編集長に。

詩とメルヘン

昭和48年(1973年)54歳のときに雑誌『詩とメルヘン』を立ち上げる。
創刊から2003年の休刊にいたるまで30年間、通算385号を出版。

 

絵本「やさしいライオン」出版

1962年、漫画同人誌「えへ EHE」での構想から始まり、ラジオドラマ、メルヘン、ミュージカルへと展開。
そして1975年、絵本として広がり、やなせたかし先生を語る上で欠かせない作品となった。

「やさしいライオン」がなければアンパンマンも絵本化されなかったと思う。
「やなせさんの作品の中では、やさしいライオンがいちばんいいですね」といわれることが多い。

 

アンパンマン 誕生

アンパンマン 初期

1973年 「アンパンマン」の最初の絵本を刊行。

アンパンマンは、顔を渡すたびにエネルギーが落ちていくんです。

落ちていくけれども、それをせずにはいられないんですね。

自分が犠牲になることもあるけれど、困っている人を助けずにはいられない。

 

アンパンマン アニメ化

誕生

1988 「アンパンマン」の絵本の人気が高まり、ついにアニメ化。
出版点数200点以上、総発行部数2000万部以上。

強いからヒーローなんじゃない 喜ばせるからヒーローなんだ。

 

東日本大震災

大震災3

やなせ先生は 90歳を過ぎた時に引退を考えられたそうです。
でも東日本大震災が起こり、甚大な被害を受け 希望を失った被災地で、

「それ行け!アンパンマン」の歌が
ラジオでくり返し流され、被災者の方々の大きな励みになっていると知りました。

「引退している場合じゃない」

 

やなせたかしさん 永眠

永眠

2013年10月13日(94歳)がん転移による心不全のため、都内の病院にて永眠。

”アンパンマンそのものは、
ずっと生きていくんじゃないかと思います。100年後の世界では漫画的精神で、
みんなが、なかよくそして面白く 楽しく暮らせる
世界になってほしい。希望を込めてそう思います。
アンパンマンがぼくらの子供だ。”