正義の味方は傷つきやすい

我々、みな大多数は

弱いんですよ。

 

強くなんかない。

しかし、子どもが川で

溺れているというような時は、

 

飛びこんでしまうんです。

 

以前、学校の先生が、

川で溺れている子どもを

助けようとして飛び込んで

自分が死んでしまったということが

 ありましたね。

 

あるいは、

踏み切りを渡ろうとした人が、

電車にひかれそうになって、

 それを助けようとした警官が

 

死んでしまったということもありました。

 

強い人じゃないのに、

その時、そうせずにはいられなかったんですよ。

それが正義なんだと思うんです。

 

正義を行う人は、自分が傷つくことを

覚悟しなくちゃいけない。

 アンパンマンは自分の顔をあげる。

 

自分のエネルギーは落ちるけど、

そうせずにはいられないから。

正義には一種のかなしみがあって、

傷つくこともあるんです。

 

そんなにかっこいいもんじゃない。

誰でも、どんな弱い人でも、

 ある場所に遭遇すると強い力を発揮し、

正義の味方になってしまうことがあるんですよ。

そして、その正義の味方というのは、いま言ったように

傷つきやすい。

 

何のために生まれてきたの?(抜粋)(PHP研究所)

ミミズ、オケラ、アメンボの理由

どうしてこの3つの
小さな生きものの
組合わせに
なったのかというと…

あまり誰にも注目されない
生きものに、
僕はスポットライトを
当ててみたいと
思ったからです。

ミミズは、
真っ暗な泥の中で
ひそやかに生きています。

何かの拍子に地上に
這い出すと、
たちまち鳥に食べられるか、

あるいはお日さまの下で
干からびてしまいます。

オケラというのは、
”ケラ科”の昆虫で、
コオロギの仲間です。

土の中に
トンネルを掘り、
作物の根っこを食べる。

いまは、ほとんど見かけなくなりましたが、
昔は、都会でも、ゴミ捨て場のバケツの下に
いっぱいいました。

アメンボは、細長い体に長い脚があり、
水面をスイスイ走る昆虫で、
飴に似た臭気があることから
この名が付いたそうです。

僕は、あまり日の当たらない、
この小さな生きものに、
自分を重ねあわせたのかもしれません。
けれど、絶望の中にあったからこそ、
ミミズやオケラにまなざしを向けられた、
僕はそう思います。

そして、この詩は
自分を励ますために書いたものです。

 

 

本当のスーパーマンとは?

詩とメルヘン’76年6月号(サンリオ)

 

怪傑アンパンマンは五月号で

第一部完結となりました。

 

はじめに予定した結末と全くちがってしまい

作者がびっくりしていますが、

このあと、書き続けるかどうか、

まだはっきりしていません。

 

一応雑記帳のかたちで

とりとめもなくアンパンマンおよび、

ぼくのメルヘンについての
考え方をお話しておきたいとおもいます。

 

本当の正義とは?そしてぼくがまだ子供のときのこと

アンパンマンは、ある日アンパンを見ていておもいつきました。

 

ぼくはだいたい

子供番組のスーパーマンものを見るのが

大好きであったのですが、

見ていて納得できないのは、

 

スーパーマンと怪獣が

やたらに大あばれするあたり

じゅうメチャメチャに踏み荒しても、

被害者に謝りにいったりしない。

 

正義の味方というけれど、

本当の正義とはいったい何だろう?

そして、我々が本当に

スーパーマンに助けてもらいたいのは、

たとえば、

 

失恋して死にそうな時

おなかがすいてたおれそうな時

あるいは旅先でお金がなくなった時

その他いろいろあるわけで、そういう細かいところに

気がつく優しいスーパーマンがいてほしいのです。

 

鉄橋もちあげたり、

全くいそうにもないビニール製の怪獣を

なぐりつけてもらっても、あんまり心からよろこべない。

 

ぼくがまだちいさい子供の時、

遠くの町へ遊びにいって財布を落してしまった。

 

ぼくは何も食べることもできず、

第一、電車のキップを買うお金がない。

 

日暮れは追ってくるし、まわりは知らない人ばかり、

いったいどうしだらいいのか、死ぬほど心細かったのです。

しかたなしに、ぼくは線路を歩いて

12キロばかり離れた自分の家まで帰ることにした。

 

ぼくは駅へいった。

そしてぼうぜんとしばらくそこにたっていた。

日暮れの駅ほどあわただしくさびしいものはありません。

 

誰もかれも、急ぎ足で

正確に自分の家を目指して

帰巣本能の命ずるままにせかせか歩いていて、

ひとりのパッとしない少年が

お金がなくて死ぬほど困っていることに

気がつくひとなどはいません。

 

無限とみえるほど大勢の人がいても、

それは全く自分とは無関係で、言葉さえ通じない異国の人、

いや、むしろ、人間以外の何かのようにさえみえます。

 

ぼくはノロノロと移動して、線路への道を

さがそうとした時、「やなせ君!」と呼ぶ声がする-。

 

見れば、ぼくの友人のK君がお母さんと

一緒にいるではありませんか。

地獄に仏!真実の神!

 

ぼくはK君とそのお母さんのところに

ライトがあたって

そこだけバラ色に輝いているようにみえました。

その夜、オレンジ色の光の窓を

行列させながら走っていった帰りの

電車の中で食ベたアンパンほどおいしい食べものをばくは知りません。

 

アンパンはぼくの食道にしみ、胃の粘膜(ねんまく)にしみ、

心にしみた。ぼくは甘美な恍惚感(こうこつかん)にひたった。

幸福は、時として不幸の時に実感する。

ぼくはその時に思った。

本当のスーパーマンは、

ほんのささやかな親切を惜しまないひとだと。

そして、そういう話をいつかかきたいと子供心に考えたのです。

ハンサムに生まれついたら

ぼくは血液型AB型で、
気質的に地味と派手が混在していて、
時にどうしようもなく派手になってしまったりする。

もしも人並以上のハンサムに生まれついたら、
この性質では破目をはずしてしまって
人生の軌道を大きく外れたことはまちがいない。

神は抑制するために、ぼくの容貌風姿を制限
されたと感謝しなくてはいけない。

だから、アンパンマン、
君はさしてハンサムではないが、
優しい性質はぼくからひきついでいるのだ。

(自分で優しいというのは気がひけるが、妻がぼくを評する時、
他人に紹介する時、いつもこの人はとても優しいと言っていたから御容赦。)

アンパンマンへの想い

子どもたちとおんなじに、

ぼくもスーパーマンや

仮面ものが大好きなのですが、

 

いつもふしぎにおもうのは、

大活躍しても着ているものが

破れないし汚れない、

 

 

だれのためにたたかっているのか、
よくわからないということです。

 

 

ほんとうの正義というものは、
けっしてかっこうのいいものではないし、
そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです。

 

そしてそういう捨身、献身の心

なくしては正義は行えませんし、

 

また、私たちが現在、ほんとうに困っていることといえば
物価高や、公害、餓えということで、
正義の超人はそのためにこそ、たたかわねばならないのです。

あんぱんまんは、

やけこげだらけのボロボロの
こげ茶色のマントを着て、

 

ひっそりと、はずかしそうに登場します。

 

自分を食べさせることによって、

餓える人を救います

それでも顔は、気楽そうに笑っているのです。

 

さて、こんなあんぱんまんは

子どもたちは、好きになってくれるでしょうか。

それとも、やはり、テレビの人気者のほうがいいですか。

(あんぱんまん キンダーおはなしえほん)