正義のという言葉に込めたい思い

ぼくが正義のという言葉に込めたい思いは、この詩の中にあります。

そうだ うれしいんだ 
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

なんのために 生まれて 
なにをして 生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!
今を生きる ことで 
熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ 
ほほえんで

そうだ うれしいんだ 
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

なにが君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのは いやだ!
忘れないで 夢を
こぼさないで 涙
だから 君は とぶんだ
どこまでも

そうだ おそれないで
みんなのために
愛と 勇気だけが ともだちさ
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

時は はやく すぎる
光る 星は 消える
だから 君はいくんだ
ほほえんで
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ どんな敵が あいてでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

 

-わたしが正義について語るなら(ポプラ社)-

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正義を行う人は

アンパンマンは戦っていて怖くないのですか、

と聞かれることがあります。

アンパンマンも怖い時があるんじゃないかと思います。

 

アンパンマンはヒーローの役を

やらなくちゃいけないので、

自分から怖いとは言えないんじゃないかな。

ヒーローは大変なんですよ。

それから他のキャラクターは

いろいろ食べたりするけれど、

アンパンマンは泣かないし何も食べない。

なぜかと言われてもなんとも言えないんですけどね。

それから、

ばいきんまんやドキンちゃんは、

いつも自慢ばっかりしていますが、

アンパンマンは「ぼくはすごいんだ」とか

「ぼくはエラい」とか自慢しない。

慎ましいですよ。

 

正義は勝ったと言っていばっているやつは嘘くさいんです。

正義を行う人は非常に強い人かというと、

そうでもないんですね。

我々と同じ弱い人なんです。

でも、もし今、すぐそこで人が死のうとしているのを見かけたら、

助けるためについ飛び込んでしまう。

ちっとも強くはない普通の人であっても、

その時にはやむにやまれぬという気持ちになる。

そういうものだと思います。

 

火事で子どもが焼け死にそうになっているのを見れば、

その子のお母さんは周りの人が

止めても聞かずに飛び込んでいきますね。

お母さんは必ずしも強い人ではなく、

弱いお母さんだって子どもを

助けなければいけない時にはそうなる。

変わりに自分が死んじゃうかもしれないけどやる。

 

-わたしが正義について語るなら(ポプラ社)-

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なるべく楽しく_なるべく面白く

生きている間はなるべく元気に、

楽しく暮したいと思っているわけ。

悩んでいてもしょうがないのでね。

  

だけど、そのために、よく誤解されるんだよね、

「やなせさんは元気だ」って。

元気じゃないんだよ、ほんとは。

 

なるべく僕は、物事を前向きに考えるようにしてるの。

倒れるんなら、

前のめりに倒れようと思っているくらいでね。

同じ倒れるんでも、そういうふうに考える。

 

病院へ行ったら、

きれいなナースさんはいるかなあ・・・

とまず探して、あの人ならいいなあとか、

そういうふうに思えば、病院へ行くのも楽しい。

まあ現実は、そういうナースさんばかりに当たるとは限らないけど。

物事は後ろ向きに、考えてもしょうがない。

というか、そういうふうに思うようにしているわけ。

 

嫌なことは、考えないようにしているの。

考えたってムダですからね。

やっぱり悪いほうへ悪いほうへ、

考えてしまいがちでしょ。

だからムリに考えないようにするんだ。

すると、なんらかの状況は変わってくるもんですよ。

 

何のために生まれてきたの(PHP研究所)

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誰もが楽しめるものを創作したい

僕が「詩とメルヘン」をつくっている時に心掛けていたのは、

世の中に害毒を流してはいけないということと、

見た目が汚くないこと。

汚らしいものの中にも、芸術はある。

 

もちろん、

その考えはそれでいいと思いますが、

僕はそうじゃないほうを選んだ。

ややもすると、

そういう絵は甘いとか何とかと言って、

あんまり高く評価されません。

でも、僕はその中にあるもののほうが大事だと思っているんで、

そっちの世界でやっていこうと決めました。

 

 つまり、

誰でも楽しめる世界ということです。

難しいのは、好きじゃない。

 美術館へ行って鑑賞しても、

わからないんじゃつまらない。

子どもから大人まで、家族連れで行って誰もが楽しめる。

綺麗、面白いというような、

そっち側のほうが大事だというふうに思っているんですよ。

ごく大衆的なものというか。

 

何のために生まれてきたの(PHP研究所)

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毎日、仏壇を拝むんです。「お父さん、ありがとう」って。

父の文章を読んでみると、

絵を描くこと、詩を書くこと、それは一生やっていく。

どんな職業に就こうとも、それは生涯やっていくって書いてあるのね。

それで、どうしても自分の本を出したいって書いてあったんです。

 

三十二歳で亡くなってしまったんだけど、

僕はそれを読んだ時、

父親の意志を自分が継がなくちゃいけないと思ったんですよ。

 

 九十三歳になったいまでも、

僕は父親のことが、すごく好きなんですよ。

母よりも父を。

 

どうしてそんなに好きなのか、わからないんだけど。

いつも心の中に父がいて、毎日、仏壇を拝むんです。

「お父さん、ありがとう」って。

 

父のDNAでやっと仕事しているなあという気持ちが、

自分の中にあるのでね。

 

 これは、僕のかみさんがよく言ってたんだけど、

「あなたはお父さんに守られているのよ」って。

 

父は青春時代を中国ですごしているんですね。

卒業旅行をした時には、

四川省のほうをずーっとまわっているんですよ。

その卒業旅行の記事が残っていますけども。

 それで僕は、兵隊になって中国へ行ったんですね。

そうして上海まで引き上げてきた。

それがなんと父の卒業旅行のコースと、ルートがすごく似ている。

近いというか、これは父に呼ばれたかなあという気がしました。

そっくりではないんだけど、非常に似てる。

 

父に、「俺はここに行ったんだ」というふうに、

言われたのかなと思いました。

上海で終戦になったんですが、

父は上海支局に長い間いて、

アモイでなくなったということですから、

やっぱり何かしら、父に呼ばれたっていう気がする。

そんなふうに、僕は父に守られている気がするんだけど、

弟が死んでしまったんだね、太平洋戦争で。

弟のことも守ってくれればよかったのになあと思うんだけれども。

 

何のために生まれてきたの(PHP研究所)

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