生命のある限りは自分の仕事をする

ぼくの歌には「生きる」という言葉が多くなった。
 
ぼくは決して華やかな流行作詞家ではない。
 
ごく地味である。
 
「てのひらを太陽に」一曲だけでヒットソングもない。
 
しかし「アンパンマン」のテーマソングは
 
英語、フランス語、イタリア語にも翻訳されて、
 
少しずつ地下水がしみこむように広がっている。
 

もちろん作曲の三木たかしさんの名曲のおかげだと思うが、
 
訳詞は直訳に近くほとんど原詩のままなのが嬉しい。
 
ぼくは何度か「このへんで引退」と決意した。
 
目と耳が不自由で皆さんにご迷惑をかける。
 
しかし今はそんなことは言ってられない。
 

 
今日一日生きて仕事ができたなら、明日も生きてみよう。
 
仕事をしようと思っている。
 
生きているのではなく、誰かの大きな力で生かされているのだ。
 
 

生命のある限りは自分の仕事をする。
 
そんなぼくもやがて天命が尽きる。
 
それでもぼくが作った歌や、
 
「アンパンマン」は生き残るかもしれない。
 
それがぼくがこの世に生きたという証明になる。
 

 
なんのために生まれて何をして生きたのかという
 
問いかけに対するぼくの人生の答案になる。

 

コメント

 

何のために生まれてきたの?

【ほんとにあったお話】

ある哲学者のおじいちゃんが
4歳の孫と一緒に新幹線に乗り、
向かい合わせで座った。

おじいちゃんが、
じっと本を読んでいると
孫が退屈で、いつのまにか唄を歌い始めた。

 

子供:
『なんのために~生まれて なにをして~生きるのか
こたえられないなんて~そんなのはいやだ! 』…

 

おじいちゃん:
『何なんだ、これは! 4歳の子どもが
こんなことを歌っているのは、いったいどういうことなんだ』

 

おじいちゃんは、
孫が「永遠の命題」を、
何の苦も無く歌っているのをびっくり。

うちへ帰って調べてみると、
それは「それいけ!アンパンマン」
というテーマソングということがわかり、
やなせたかしさんに、このエピソードを手紙に綴ったとのこと。

 

やなせたかしさん:
『なんのために生まれてきたか』って
わからないまま人生を終えるのは残念ですね。

この歌を子どもの頃からずっと歌っていると、
考えることが自然と身に付くような気がするんだ。
もっとも僕にそれがわかったのは、
60歳過ぎてからのことで、ずいぶん遅いんですがね。

 

 たとえ大人向けの歌詞であっても、

幼児は不思議と心で聴いてわかっている。

難しい言葉とは一切無関係。

 

(なんのために生まれたの?)

 

児童書の仕事をするようになってわかったこと

 

児童書の仕事を

するようになってわかったこと

 

幼児向けの作品は、

幼児用だというので

グレードをうんと落そう、

 

というふうに考えるんですね。

 

そうして文章も非常に短くする。

僕もそれを要求されたけど、

それは違うんです。

不思議なことに、

 幼児というのは話の

ホントの部分が

なぜかわかってしまう。

 

難しいことばとか、

そういうこととは無関係なんです。

 

 

僕は物語をつくる時も、

歌をつくる時も、

 子ども向け、

大人向けとかを

区別したことはなくて。

 

子どもも大人も、

一緒に感動しなくちゃいけないと思っているから。

だから歌詞が子ども向けにしては

難しいと指摘されるのかもしれません。

 

例えば、アンパンマンのテーマソングの歌詞は

「なんのために生まれて なにをして生きるのか」

というものなんですが、

 

これは幼稚園で歌うような歌詞じゃないんですよ。

だから難しいと指摘されていることもありますが、

幼稚園の子どもは平気で歌っている。

 

「なんのために生まれてきたか」って、

わからないまま人生を終えるのは残念ですね。

この歌を子どもの頃からずっと歌っていると、

考えることが自然と身に付くような気がするんだ。

 

もっとも僕にそれがわかったのは、

60歳を過ぎてからのことで、

ずいぶん遅いんですがね。

 

何のために生まれてきたの? 抜粋(PHP研究所)