子どもは正直な鏡

子どもがどのような大人になるかは、

大人社会に大きな責任があるということです。

大人社会を映した鏡が子ども社会です。

 

子どもは正直な鏡ですから、はっきり映してしまいます。

ですから普通は、子どもが悪いというのは、

大人が悪いのです。

たとえば、家の中で母親なり父親なりが

なにか行儀の悪いことをすると、

子どもはしっかりと真似をします。

 

おかしなことですが、

いいことより悪いことを見習います。

 

 
ボクは以前、学校教育をどうしたらいいかと

聞かれたことがありまして、簡単にこう答えました。

「先生が良い見本になれば生徒も良くなる」。

 

しかし、これは簡単なようで大変難しい。

先生も人間ですから長所も短所もある。

完全にはなれないから悪いところが

生徒の目に映ってしまいます。

 
したがって、先生にも常に学ぶ姿勢、

共学の姿勢が必要です。

先生も磨いて磨いて、

身をもって範を示す必要があります。

道徳というのは口で教えられません。

口でやったらお説教になってしまいます。

だから、先生になるには覚悟がいると思います。

-もうひとつのアンパンマン物語(PHP研究所)-

コメント

チャンスは誰にでも 平等

ボクがいま学生さんにいいたいのは、

自分の好きなことができる職業を探して

ほしいということです。

 

好きなことなら、

労働条件が少し悪くても、

つらいことはありません。

 

ボクみたいに絵が好きなら、

絵をかくことができる職業、

 

音楽が好きで好きでたまらないなら、

音楽家をめざす。

 

スポーツだけは

誰にも負けないなら、プロスポーツとか、アマチュアでも、

そのスポーツが強い企業に入るとか。

とにかく、好きならチャレンジしてほしいですね。

 

現在は、いろいろなコンテストとか、賞とかがかなりありますから、

そういうものにアタックしていけば、道は必ず開けます。

 

やりたいことができる職業というのは、

なかなか難しいかもしれません。

 

でも、

チャンスは誰にでも

平等にあることは確かです。

 

いい学校や先生も、

いまならいっぱいいます。

 

「どうせ、俺なんてダメだ」という人は、

チャンスをつかもうとしていないのではありませんか?

「手のひらを太陽に」について

「手のひらを太陽に」という歌があります。

 

ボクらの生命は

太陽光線と大気によって育てられます。

 

小さな虫も、みんな生命の友だち

だとすれば、この地球を汚してはいけません。

 

食品公害については

やかましくいわれたので、

割合に改善されつつあるようです。

 

しかし、精神的公害については

実にいいかげんです。

 

子どものための本を見ると

ゾッとすることがたくさんあります。

 

売れればいいというものではありません。

ボクは絵本の仕事をしているから、

特に強く感じるのかもしれません。

 

良心的な本といわれているもの、

あるいは世界の名作

といわれているものの中にも

ヘンなものがあります。

 

良心的であっても、

子どもが面白がるもの

でなければ読んでくれません。

 

名作も、その芸術性はさておくとして、

残酷すぎるもの、あるいは翻訳者が

原作をメチャクチャに改変して、

全く別のお話に

なっているものを散見します。

 

いのちをかけなければ何もできません。

 

ある大学教授が、

幼年指導者の給料が一番高く、

資格も学力も人格も一番すぐれた教師がなり、

 

小学・中学・高校・大学と

だんだん給料を安くしていくのが

本当だと、大学を定年でやめてから

いっていましたが、そのとおりです。

 

鉄は熱いうちに打て!

最初の一歩がいちばん大切です。

ここがうまくいかないと後で苦労します。

子どもは正直な鏡

母と子、

あるいは家庭における

優しさとはなんでしょうか?

 

優しさ優しさと

盛んにいわれているけれども、

ただ優しいというのでは

どうしようもありません。

 

むしろ有害なくらいです。

 

優しさというものの中に

厳しさがあって

初めて優しさというのではないでしょうか?

 

どうもいまの家庭の雰囲気は、

父親のほうが弱くなり、

厳しさというものに欠けているようです。

 

なにか、ブヨブヨな

子どもが育ってしまうような気がします。

 

水や肥料をたくさんやると

育つかというと、

そうではありません。

腐ってしまいます。

 

雨に打たれたり、

日に当たったり、

風に吹かれたりすることが大切です。

 

動物でも植物でも同じだと思います。

 

我慢する、耐えるというような

シーンがなくなっているということでしょうか。

 

小学校や、中学校で

自殺する子どもがいるけれども、

耐える、我慢するということを

普段あまりしていない。

 

だから、ちょっとした障害が

あるとつまずいてしまう、

乗り越えられないということも

ひとつの原因かもしれません。

 

モノを買ってあげるというようなことも

そうなんですが、

すぐ買い与えるという感じですね。

 

そして、買ってあげれば

いいお父さんであったり、

いいお母さんであったり、

するだけです。

 

子どもに

振り回されている、

そんな気がします。

 

周囲の大人にかなり責任がありますね。

 

子どもが

どのような大人になるのかは、

大人社会に大きな責任があるということです。

 

大人社会を映した

鏡が子どもの社会です。

 

子どもは正直な鏡ですから、

はっきり映してしまいます。

 

ですから普通は、

子どもが悪いというのは、

大人が悪いのです。

 

たとえば、

家の中で

母親なり父親なりが

何か行儀の悪いことをすると、

子どもはしっかりと真似します。

 

おかしなことですが、

いいことより

悪いことを

見習います。

 

ボクは依然、

学校教育をどうしたらいいかと

聞かれたことがありまして、

簡単にこう答えました。

 

「先生が良い見本になれば生徒は良くなる。」

しかし、これは簡単なようで大変難しい。

 

先生も人間ですから

長所も短所もある。

 

完全にはなれないから

悪いところが生徒の目に映ってしまいます。

 

したがって、

先生にも常に学ぶ姿勢、

共学の姿勢が必要です。

 

先生も磨いて磨いて、

身をもって範を示す必要があります。

 

道徳というのは口で教えられません。

口でやったらお説教になってしまいます。

 

だから、先生になるには

覚悟がいると思います。